たまに書くブログ

しがない博士学生が、たまに、思ったことや出来事等を書きます。

京都アニメーションによせて

ほぼ全ての日本国民が知っている通り,京都アニメーション第1スタジオが放火され,35人が死亡(執筆時点:参照元 http://www.news24.jp/articles/2019/07/28/07471971.html)する大惨事となった.まずは,亡くなられた方々のご冥福,負傷された方々の一日も早い快復を心からお祈り申し上げます.

 

容疑者に関しては怒りが募るばかりだが,ここではそれに関しては抑えておいて,それ以外の個人的な感情を書きたいと思う.

 

この事件で日本全国が悲しみに包まれたが,殊の外そうなのは,業界人と“ゼロ年代”オタクの皆さんであろう.かく言う私もその“ゼロ年代”のひとり(なのだと思う).深夜アニメを本格的にリアルタイム視聴するきっかけとなったのが2006年の「涼宮ハルヒの憂鬱」である.ここでは,自分の気持の整理のついでに,個人的な心境を吐露しようと思う.完全な自分語りなので,あまり気にしないでください.

 

2006年,私は中学生だった.この頃,自分の部屋にテレビとノートPCを持つことができ,そうなると必然的に深夜番組を見るし,ネットの海に浸ることになる.そのとき偶然目にしたのが既出の「涼宮ハルヒの憂鬱」だ.ネットで見つけたのが先か,テレビで見たのが先かは定かではないが,とにかく私はこの作品に妙に取り憑かれ,のめり込んだ.その月のうちに地元市内の書店で原作を買い漁っていた記憶がある.この頃は,作画がとか背景がとか声優がとか,全く知らずに,でも確実に惹き込まれていった.2010年の「涼宮ハルヒの消失」上映時は,地元では公開していなかったので,公開初日にこっそり東京までバスで行って見に行った.初めて自由に秋葉原を歩いたのもその時で,こんなに仲間がいるのかと思った.余談だが茅原実里さんのファンになったのはおそらくこの辺だった.

 

大学に入ってからは,“仲間”が莫大に増えたこともあり,アニメに触れ合う機会も増え,またアウトプットする機会も増えた.サイクリング部に入ったこともあり,“聖地巡礼”を多く行った.先輩に半ば無理やり「けいおん!」の聖地に連れて行かれたのもいい思い出である.個人的にも既出の「ハルヒ」シリーズ,友人らと「氷菓」など,多くの聖地を巡った.京アニにも行った.最近も関西に行ったついでに「響け!ユーフォニアム」の聖地周辺を巡ってきた.その矢先の事件だった.

 

もちろん,京アニ作品以外にも多くの作品が私を幸せにしてくれたし,楽しませてくれた.しかしながら,京アニという1本の太い糸が私の人生を紡いでくれていたのは確実であり,先週,その糸の繊維の多くが失われてしまったのは,言いようのない悲しみ,怒り,虚無,多くの負の感情で覆われている.

 

もう少し経てば,また再び辛い時が訪れるだろう.具体的に誰が亡くなったかが公表される時だ.いつかは来るし,覚悟はしている.

 

なかなか負の感情が晴れないが,少しでも紛らわすことができるようにと,いくつかのことができる選択がある.まずは募金(http://www.kyotoanimation.co.jp/information/?id=3075).“亡くなられた社員とご家族・ご親族、療養中の社員とご家族・ご親族、及び会社再建”として使うようで,我々としても今までの感謝の気持ちと弔いの気持ちにはなるかもしれない.あとは,京アニが制作した作品のBD等商品を買って観ること.先程書いた通り,私の大きな人生の一部なのだから,これからも忘れないようにしたいし,惜しくも亡くなられたクリエーターの方々の言わば軌跡を確認することもできる.ついでに京アニにお金も行く.

 

これから先,京アニが復興するまで何年かかるかわからない.クリエイティブな仕事というのはただ単に人員を補充すればいい訳ではない.また1からあのクォリティの作品を作れるクリエーターを育成するには途方も無い時間と労力が必要だろう.しかしながら,私は待ち続ける.たとえ何年かかろうが,そのとき殆どアニメを見ないような人間になろうとも,その時が来れば私は観る.その日を心待ちに,それまでにできることをやっていこうと思う.